ヨーロッパ各地で起こった学生運動で生じた混乱によって、この年、日本もビエンナーレへの参加が危ぶまれたが、日本館は針生一郎コミッショナーの判断により、予定通り公開された。
出品作家には、日本の前衛芸術を牽引する4名が選出された。三木富雄は、1962年から粘土や石膏、アルミニウム合金による鋳造などさまざまな素材を用いて、執拗なまでに「耳」をモチーフに制作をしたことで知られる。本展でも、プラスチックと金属を用いた「耳」シリーズの彫刻を展示した。
1962年に続き2度目の参加となった菅井汲は、曲線や幾何学模様で構成された油画9点と、絵画を三次元に出現させたかのような立体作品4点を出品。また、前衛芸術集団「実験工房」のメンバーとして活動し、日本におけるメディア・アートの先駆者として知られる山口勝弘は、アクリル板でつくられた幾何学的な立体を蛍光灯で照らし出す《サイン・ポール》など3点を出品した。
「ハイレッド・センター」の中心メンバーとして、1964年の東京オリンピックを前に、東京の路上で反芸術的な活動を繰り広げた高松次郎は、絵画における遠近法を三次元で再現した「Dimension Perspective」シリーズを展開し、遠近法の違和感や原理の転覆を示そうと試みた。高松はこの年の「カルロ・カルダッツォ賞」を受賞した。
第34回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展
- 総合テーマ
- 総合キュレーター
- Gian Alberto Dell'Acqua
- 会期
- 1968年6月22日~10月20日
- すべてのテキストは当時の情報をもとに構成しています。