1952(昭和27)年、まだ戦後の混乱状況が続くなか、日本の公式初参加となった「第26回ヴェネチア・ビエンナーレ 国際美術展」。読売新聞社が主催者となり、代表(コミッショナー)には洋画家の梅原龍三郎が就任。出品作家には、日本画家7人、洋画家4人ののべ11名の大家が選ばれた。
日本画の重鎮である横山大観の墨画《飛泉》(1928)や、風俗画を数多く描いた鏑木清方の美人画《春雪》(1946)をはじめ、京都画壇の福田平八郎や徳岡神泉の日本画、パリで学び新たな表現を取り入れた川口軌外の抽象画、日本館コミッショナーを務めた梅原や安井曾太郎の油彩画が出品された。
出品作品はいずれも日本国内で高評価を得た作品から作家自身が選定し、パビリオンを持たない他国と同様に中央館の一室に展示された。日本画と洋画が隣り合い、所によっては二段掛けとなり、二曲一双屏風は半双のみ壁掛けされるなど、特に日本画にとっては厳しい展示環境となった。
第26回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展
- 総合テーマ
- 総合キュレーター
- Rodolfo Pallucchini
- 会期
- 1952年6月14日~10月19日
- すべてのテキストは当時の情報をもとに構成しています。